桜が咲き始めて
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ふと上を見ると柿の木の枝に何か付いていました。
秋に実った柿の実は冬に小鳥につつかれたりして、ヘタだけになってしまったようです。それが遠くから眺めると花にも見えず、実にも思えず、近づくとヘタが花の形になって枝にくっ付いているわけで…
もういくらか辛抱すれば、このヘタのことも忘れて桜が咲いて浮かれていることでしょう。雪に囲まれた生活が半年近くあるとこんなにも春に対する憧れがもどかしいものです。
たまに考えることがあるんですよ、春にちなんだネーミングでよくブレンドに名前付けて季節限定販売していたり…。四季をイメージした味わい?例えば「桜」をイメージしてみます。コーヒーにイメージを持たせると、…そうなんでよ、私にはまだ ♪◎☆▲◇ で ☆◇♪◎ だから☆▲♪◎◇ なんですよ。アハハハハハハハハハハハハハ~♪
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本日、私の知人が来日するので突然ですが臨時休業いたします。
知らずにご来店された方には、誠に申し訳ありませんが、この場をかりてお詫び申し上げます。
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オレンジの香りはとても好きです。
さわやかな香り、甘酸っぱさを連想させる香り、清々しい香り。
気分も変わります。そしてコーヒーにも意外とこの柑橘系は良く合います。私は良くオレンジとコーヒーを一緒に食べてしまいます。チョコレートとオレンジの相性も悪くないのと同じような気がします。
コーヒーゼリーにオレンジのソースを少したらして見るのも、個人的に好きです。簡単にマーマレードをのせるよりもソースの方が美味しくなります。少し酸味を効かせたものが口の中で一体感を味わえて美味しいんです。ま、この辺は個人の好みによるところでしょうか。
コーヒー豆にも柑橘類を連想させる香りがあります。エチオピア産であったり、グァテマラの豆も美味しい酸味があります。すっぱいとは、多くの方が苦手のようですが、酸味の味わい方がダイレクトすぎているのでしょう。刺激的な酸味は、例えば「お酢」であったりします。しかし、レモンはどうでしょうか?
レモンの酸味は清々しくて、でも刺激が強いですね。これはこれで、評価も悪くないのではと、個人的には思います。オレンジの酸味はレモンよりも円く、親しみ易いですね。
コーヒーの楽しみ方に、様々な酸味の質を体験することで、受け入られる境界が出てきます。これが一つの広がりある世界を創ってくれる可能性です。
どんなに小さいことでも、その小さな世界が存在しているんですね。元を辿ることで色んな世界が見えてきて、新しい世界観を感じることができます。日本であれば、「お茶」の文化があります。知っていたようで知らないことが、私にはまだまだありました。
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新しい豆には力強さがあります。それは香りにも反映されてきますし、味を構成する要素にとって逞しさでもあります。生豆が枯れてくると、香りは瑞々しさが欠けてきて、平坦な味に近づいていきます。
それでも、まったく飲めないほど不味いなどと言うことはありませんが…
鮮度が大切であって、生野菜感覚で扱うことで一際の美味しさが手に入ります。しかしそれには、美味しい豆があって、しっかりとした技術で焙煎されること。私も日々勉強です。私が取引先を信頼しているのと同様に、ご来店下さる方々に応えられるよう勤めなければいけません。
気の遠くなる距離を経て、遥々届いた豆は少し青臭さがあり、ほんのり完熟した甘い香りが漂ってきます。
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「なぜ、コーヒー屋さんになったの?」と、たびたび聞かれることがあります。
これに対して、私はうまく返答ができないでいます。「なぜか?」と考えて記憶を辿って、行き着くところは、一つの表現に当たります。志して、または岐路に立って、憧れていたり、そのようなものが無いとは言いませんが、自分が向かう先にコーヒー屋さんがあったとは思えないからです。だから、「魔が差しました(笑)」とか言って誤魔化してしまう事が多いです。
はじめから志の目標があって、今に至っていれば、現在の形態も違っていたかも知れませんね。そして、表現とはどういう事かというと…、自分で何かを創りたいなんて根本があったのかも知れません。コーヒーでなくても良かったのかも知れませんが(笑)。音楽でも、絵画でも、写真でも、それらにはダイレクトに反応を見れる要素がたっぷりと含んでいますから。
私にとって、生活の中に溶け込んでいたコーヒーは写真となんらかけ離れた存在ではなかったこと。親しみ易く、もっとも身近な飲み物が意外と、個性が強くて、人を引き付ける力があるんだと思った時に、つま先は滑り込んでいたのでしょう。
以前にも似たようなことを書いていると思います。「コーヒーを通してコミュニケーションをする」なんて。私が生活している側面にはそのような楽しいことが散らばっているわけです。表現に囚われてばかりいても、飲み難いコーヒーになることは見えていますが、私の考えているような、挑戦したいことの一つとして、例えば本を読み終えた後の充実感に似た、コクのある満足感ですかね。
こればっかりは、味だけで表現することはできないですね。濃いコーヒーでもありませんよ。考えれば考えるほど難しいです。まぁ超文系の私の戯言だと思って、さらりとかわしてください。
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